人間的な、あまりにも人間的な組織についての覚書

孔孟思想よりも老荘思想の方がやっぱり好きなんです。
経営者本とか見渡しても、巷の経営者のお言葉って、たいてい根っこが孔孟思想なんだよね。大体それの亜流。

この国の場合、江戸時代以来、儒の思想をベースに道徳を説いてきた背景があるんで、そうなっちゃうのは分かるんだけども。無意識に沈殿した共同幻想とはまさにこのことで、知らず知らずのうちに身体に刻まれた「文化」ってやつは、強力だよね。最近はそういうのが薄まってきているように見えるけど、ちょっと前にメディアが地方の若者を「マイルドヤンキー」とか命名して煽っていたように、意外と若い世代でも根強く残っていたりするみたいですね。

孔孟は、ぶっちゃけリーダーシップや組織といったマネジメント術に関する定性的な思想なんで、定量的な交換価値ではなく、仁義や礼節といった非交換価値を大事にしているコミュニティには当然のごとく、受け入れやすい。結局、それが絆や信頼につながるわけですから。実際、仁義なんて、任侠世界ですら大事にされてきた概念ですし。
  
まあねえ、無為自然で、生産性自体を疑うような老荘思想が経営者に受け入れられるはずがないとも思うんだけど、私としては、“人間のあるがままの論理と組織の論理の弁証法”を夢見ているわけですよ。政治的な嫌らしい根回しをしなくても、ただ各人が自身が良いと思うところに向かって真摯に努力していれば、そのまま理想的なカタチに収まっていく組織の在り方ってのが理想なんです。老子の「知足者富(足るを知る者は富む)」という言葉は、欲望を抑えて謙虚に生きれば心が豊か、とか非積極的で草食すぎる解釈をされている向きがありますが、そうじゃなくて、満足を知ること、つまり自己自身を知り、自身が本当に求めるところを知ることが、その人を豊かにする、という意味だと私は解釈しています。欲望を我慢するとかそういうことじゃなくて、むしろ逆で、欲望の最適化なんです、肯定なんですよ。でも、その欲望って、世間とか周囲とかの色眼鏡によるものじゃないの?アナタは本当にそれを求めているの?本当にアナタ自身の欲望なの?ってこと、これが問題なんです。この問題を解消しうる組織って出来ないかなと。各人の最適な欲望がどんどん膨らんでいくことが肯定されるような組織が最高だと思うんです。もっとこうしたい、もっとああしたい、その方が自分が楽しいからってね。
 
でも、コミュニティって大小の差はあれ、否応なく組織化されちゃうわけですけど、大抵の場合、排他構造階層構造を生んじゃうでしょ。各人の欲望を無理に抑えこんじゃう構造を作り出しちゃうわけです。こういった構造って歴史を振り返ってみても、反動勢力を生むのでどうしても悪循環の原因にもなる。何かを一定の人間たちだけの秘密にして、利権構造を構築し始めるところから政治って生まれちゃうもんでして、簡単に負の連鎖が始まっちゃうんですよね。だから、ここ最近の流れでは、この排他構造と階層構造をできるだけ低減させて、フラットでオープンでフリーな組織の在り方が若い世代を中心に受けがいいですよね、都心だけだろうけど。ちょっと前から、ITバブルの頃からスタートアップの採用文句と言えば、フラットで何でも言えるってことだったりしましたし。実際にはそうじゃなかったりもしますが。
 
でも、フラットでオープンでフリーな組織ってのもちょっとした自己満足というか、偽善というか、お遊びというか、なんか消化不良なんです。なんだろ、人間の良い面だけ見て成立させようとする性善説的なコミュニティにはどうしても違和感があるんですよね。ほら、映画の『マトリックス』だって最初は、性善説的なコミュニティをプログラムしたんだけど、失敗に終わったとかスミスが力説してましたでしょ。
 
なんだろな、組織が背後にあるからって、“立場”とかでモノを言うのをやめにできないかなって思うんですよね。だって、ポジショントークっていうんですかね、つまんないでしょ、そんなの。上司だろうが部下だろうが、年上だろうが年下だろうが、所詮同じ人間でしょ。もっとこう、良いことも悪いことも、あるがままで振る舞ってさ、それでも一緒にいられる人たちが友達だろうし、夫婦だろうし、仲間なんじゃないんですかね。これ、プライベートだけじゃなくて、パブリックでも一緒なんじゃないでしょうか。人間が自分の関係形成において主観や感情を超えられるわけなくて、結局言わないだけで、好き嫌いとか、それこそプライベートの情念であるはずの「信頼」とか「しがらみ」で選ぶわけでしょ?だったら、プライベートもパブリックもないと思うんですよね。
 
特に日本みたいな国じゃあ、企業の規模なんてほとんど関係がなく、定量的に見せかけて、利権周りも含めて、結局定性的な判断で取引が決まるわけですよ。すんげー大切なことが飲みの場で決まったりもする。採用でさえ、知り合いベースで公募なんてしたこともない企業も結構あるわけです。
 
これがダメって言ってるわけじゃないんです。むしろ、もうね、どんな組織だろうと、正々堂々と好き嫌いでいいと思うんですよ。それこそ自身の欲望以外の何物でもないですし。好きなもん同士が集まって、良い組織を作っていけばいいじゃないですか。排他性の積極的肯定ですよ。そこを無理して公平ぶって、しかもその無理を正当化して、反動勢力を抑えこもうとするのが道徳だったりもするんですけど、やっぱそーいう人はニーチェでも読んだほうがいいと思うんです。善悪の彼岸が大切ですよ。相手に「間違っている」と言うと自分の言い分が正しいと相手に伝えようとしているわけなので、論争にしかならないわけですが、「その考え方は嫌いだ」と言うのは人間的な事実でして、別に議論の余地もないんですよね。「そうなんですね、それは残念でした」と返してさしあげればいいんだと思うんです。
 
組織づくりにおいては、“好きになれそうな相手”を選んだほうが結果的にうまくいくもんです。応募者は本来、条件面が良いとか家に近いとかそういうことを除けば、応募先の理念とか商材とかに少なからず好意があるから、その会社を選ぶんでしょう。なら、採用側も応募者の能力とかキャリアとか以上に、その人自身の考え方とか想いとか人柄とかが好きだなあと思える人を選べればいいんじゃないかと。こういう組織って、雇われる側と雇う側が”対等”になるんで、上手くいけばなかなか強い絆の組織になります。多様で複雑化した社会では人材もどんどん流動化していくんですが、それなのに長いこと一緒にやり続けるんだとしたら、好きだからって結構強い動機だと思うんです。もはや採用も企業側が大上段に構えて行うものではなく、お付き合いみたいなもんで、双方が対等な地点からスタートすべきものになっていくんじゃないでしょうか。

だからね、採用とかでも堂々と面と向かって言いたい。「いやー、なんかアナタ、好きになれないから不採用でよろしくお願いします」って。うん、間違いなく怒られるんだろうな(笑)

というわけで弊社は、可能な限り偽善のない組織を目指しています。こうすることで、私どもが良いし好きだと表明する商材やサービスや人は、何の裏もなく本当に良いし好きだと思っていると信じてもらえる企業になりたいですね。

本物の価値とセンスと、そして真実を。

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