「キュレーション」という言葉は、専門家はもとより人間である必要すらなく、“自動的にパーソナライズされたレコメンデーションの代名詞”のように世間ではみなされつつあると感じますが、本当にそういうものなのでしょうか?今回は、コマースにおけるキュレーションに焦点を当てて、深掘りしてみたいと思います。
キュレーション・コマースとは何か?
GunosyやAntenna、nanapi、NAVERまとめに代表されるようなキュレーション・メディアはよくご存知かと思いますが、最近では、ECの世界でも「キュレーション・コマース」といった言葉も生まれ、当たり前のように使われるようになりました。
「キュレーション型EC」とは、目利きの専門家がおすすめの商品を選んだり、自動化されたシステムがユーザーに合わせて商品を絞り込んだりする形式のECだ
周知の通り、「キュレーター Curator」とは、博物館・美術館などの展覧会の企画・構成・運営などをつかさどる専門職のことで、広義で、独自の観点から作品を集め展開する専門家のことです。ただし、上記の記事では、もはや専門家に限らず、特に自動化をキュレーションの指標として設定し、利用者に対してパーソナライズされたレコメンデーションが自動化されていればいるほどキュレーティブなコマースであるとしているようです。
しかし、専門家の専門的な提案と、利用者にパーソナライズされた提案とでは、似ているようで本質的に異なっています。というのも、前者は利用者のステージに合わせはしますが、利用者がまだ見ていないし、まだ関心があるとも限らない世界に誘うものであるのに対し、後者は利用者が現在関心があるもの、気になっているものをマッチングするものだからです。後者がシステムにより自動化されるものであれば、なおさらそうです。というのは、通常システムによる自動レコメンデーションには、「アフィニティ(類似性)」や「協調フィルタリング」、「ベイズ推定」など色々なロジックはあるものの、必ず利用者の選択や行動履歴に基づく推測となるはずだからです。コミックの一巻を買った人に二巻をレコメンドする場合は当然ながら、ビールを買った人にオムツをレコメンドする場合も、同じようなパターンの行動履歴から割り出した公約数でしかありません。実際、いくら行動パターンが似ていたとしても、家で赤子が待っているわけでもないサラリーマンがビールと一緒にオムツを買うわけがありません。したがいまして、自動的なレコメンドの場合、とにかく当事者の関心の範疇から外に出ることはできない、というのが大きな違いとなります(*ここでは効果は問うていません。このようなレコメンデーションとキュレーションは同一ではないということを言いたいのです)。
いつからキュレーションは自動化の代名詞のような扱いになったんでしょうか?いや、そんなことはありません。上述の記事では、マーケティング・オートメーションなどが視野にあるからでしょうが、仕組み化による”効率”の最大化を考えるあまり、”効果”の最大化を見落とした分類になっていると思われます。むしろ、記事内の二項図式に基づくグレードスケールにあるような、コマースに位置する「セレクトショップ」こそが、言葉の正しい意味での「キュレーション・コマース」でなければ、キュレーションとはただの手段でしかなくなってしまいます。
関心の範疇を越える提案
本来、モノやコトを売るという行為は、それが顧客の好奇心をそそるものであればあるほど、必然的にキュレーション以外にはありえないのではないでしょうか?たとえば、海外のデパートにはパーソナルショッパーという役職がありますが、それこそキュレーションでしょうし、有名な「いわた書店」の1万円選書などはキュレーションの真骨頂と言えます。しかし、一人ひとりのお客様に合わせて自らの視点で選んだオススメを提案する、という点だけで見れば、上で述べた自動的なレコメンドでも同じことのように見えます。もちろんキュレーションでも、利用者からの感想など一定のヒアリングが事前に必要な場合も多いでしょうが、既に上で触れたように、システムで自動的にやるならば、一定の行動履歴なしにレコメンドすることはできないし、利用者が予想もしないような突拍子もない提案はできないのです。
岩田さんは、お客さんが好きそうな「同じ系列の本」はあえて選ばないといいます。絶対に手に取ることがないけれど、きっと満足してもらえるであろう本を選んでいます。
–『FEELY』http://feely.jp/14770/
一万円選書の「いわた書店」の社長である岩田徹さんもこう語っているように、ここにキュレーションの本質があります。いくら事前のヒアリングをしたとしても、相手の関心の範疇を超えなければキュレーションとは言えません。もちろん、人工知能技術の進化は目覚ましく、膨大な学習データと共にこれと同じようなことが出来るようになることも近いでしょうし、やろうと思えばすでにできるのかもしれません。しかし、キュレーションには、それでもロボットではどうしても真似できないであろう、もっと本質的な要素があります。
責任と応答への期待としての信頼
キュレーションは手段ではないし、ましてや自動化の代名詞でもなく、「信頼」と「期待」の反復という商売の本質的な構成要素であると考えます。商取引におけるリアリティとは、取引相手の責任と応答への期待にこそあるからです。そして、こここそが、どれほど人工知能技術が進もうと、機械などではどうしても自動化しきれない残余ではないでしょうか。
「信頼」とは、相手が責任を担っているということ、そして常に呼びかけに応答してくれるということを信じて、つまり期待して頼っている状態のことであると私どもは解釈しております。問い合わせ等の呼びかけに対して必ず真摯に向き合ってくれるということ、期待を裏切らないこと、ただそれだけですが、この蓄積こそが信頼の条件なのです。これは、商売でも教育でも家族や恋愛関係でも変わらず真理ではないでしょうか。「◯◯の商品を買ったけど、もし不良品だった場合、返品に応じてくれるかしら」「◯◯さんというスタッフが◯◯という商品を勧めてくれたけど、この人はこの商品を本当に自分で使ったことがあるのかしら」「◯◯というネットショップで買おうと思うんだけど、本当に届くんだろうか」「初めて買う店なんだけど、個人情報とかクレジットカード情報預けて大丈夫なのかな?」などなど・・・まだ信頼していないお店でモノやサービスを購入しようとした場合、誰でもこのような不安や疑念を抱くものではないでしょうか。きちんとしたアフターケアを受けて満足して次回の期待へとつなげていくケースもあれば、鞄と言えばルイ・ヴィトンと言ったように、たとえ未体験であったとしても、世間的な価値でもって自らも期待して購入するといったケースもあるでしょう。どちらの場合であっても同様で、このように「◯◯なら大丈夫」といった“期待の図式化ないし目印化”が成立している状態が、程度の差異はあるにせよ「ブランド」というものの正体です。
では、どうしてこの責任と応答がキュレーションの最も本質的な要素だと言えるのでしょうか。キュレーターの定義に順ずるならば、その道の専門家が独自の観点でオススメする以上、無責任であるはずがないですが、それ以上に、実際の経験とコダワリや想いが込められた商品や作品でなければ、他人の共感や好奇心を呼ぶことは難しいからです。それは自分がオススメする商品に責任を持つということ以上に、自分の視点や思想に責任を持ち、真摯に向き合うということを意味しています。有名人や素人のレビューや、機械的なレコメンデーションにはこれが根本的に欠けています。
いわた書店は「売れそうな本」ばかりが並ぶ本屋ではなく、「売りたい本」を置く本屋を目指しているそうです。
–『FEELY』http://feely.jp/14770/
この売れそうではなく、売り”たい”という発想。顧客に迎合して降りていくのではなく、あくまでも自身の観点で自身が売りたいと思うものを顧客にオススメするといいうこと、これです。そうでなければ、自信をもってオススメすることなどできるはずがありません。相手のレベルやステージに合わせることがあっても、必ずしも相手の興味関心に適合するものではないかもしれません。キュレーションは、むしろ新しい世界の奥行きへの誘いであり、その出会いのプロデュースと言えるでしょう。
まとめ
関心の範疇を越える提案がキュレーションの”十分条件”だとすれば、責任と応答への期待はキュレーションの”必要条件”と言えるでしょう。ですから、まとめますと、コマースにおけるキュレーションとは、自身が真摯に経験し修めてきた道に責任を持ち、その観点でもって、お客様に自分のコダワリや想いのある商品や作品を提案し、お客様がまだ知らない世界やその奥行きとの出会いを演出すること、となります。これは「セレンディピティ」といった偶発的なマッチングではなく、必然的に引き起こされた”共感”という人間的な出来事なのです。
どういう業種であれ、仕組みやHow toだけ導入すればそれでなんとかなるようなことはなく、どういうコンセプトや方向性なのかがやはり大切になります。そのようなコンセプトを一貫してやり抜いてきたところの商品は目印となり、自身のブランドを醸成していくものです。信頼してくれる人の期待を裏切らないこと、この地道な繰り返しなのですが、こういったブランディングの地盤がないところには、キュレーションもまた成立しません。誰でもキュレーションできるかと言えばそんなことはなく、単なるレコメンドやマッチング、無責任なマトメにしてしまわないようにするためには、お客様とのきちんとした信頼関係構築が必要なのです。
商品やブランドに奥行きがなければないほど、顧客の飽きも早く、結局差別化できずに、どうしても価格勝負に堕してしまいます。マーケティング・オートメーションにせよ、パーソナライズ・レコメンデーションにせよ、とにかくテクノロジーや仕組みを導入して効率化を目指すところは非常に多いですね。もちろん、それらを導入することによって効率化できるし、効果的な恩恵も随分あると思います。しかし、最も大切になるのは、売り手の姿勢や思想、方向性そのものでして、ここは何かツールを入れて解決したりするようなところではありません。
ツールを宝の持ち腐れにならないようにするためにも、自社のブランド価値を最大化するためにはどうしたらいいのか、という点を真摯に考えることが、必然的にキュレーティブなコマースにつながっていくのだと私どもは考えております。
弊社では、このようなブランディング支援から、お客様のブランドに最適なキュレーティブなコマースシステム作りまで含めて一貫して承っております。以下から、お気軽にご相談ください。