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MONOCOという挑戦
忙しく動き回っていようと、生活を美しく豊かなものにしたい人は日本にも多く存在する―。そんな人たちの生活に刺激や驚きを与えるような「モノ(MONO)」を通じて、新たな「コ(CO)」ミュニケーションを生み出す。このテーマを軸に多種多様な商品を扱っている、オンライン限定の総合セレクトショップ、それが MONOCO である。
しかし、そんな MONOCO を取り巻く状況は厳しい。
実際、オンライン・コマース、つまり「EC(電子商取引)」への投資は、今や下火だ。少し前までは、ECといえば、ソーシャルゲームへの投資熱が冷めると共に選ばれるようになった人気の投資銘柄だった。とにかく会員を集めて、マネタイズは広告で、といった安易なビジネスモデルや、射幸心を煽り、人の弱みにつけこむビジネスモデルに比べ、ECは分かりやすく健全なビジネスモデルだ。
だが、Amazonを典型とするような大規模ECと対抗しようとしても、熾烈な価格競争に追い込まれ、消耗戦を強いられる。だから、セレクトショップなど、他社から商品を仕入れて売るといったモデルのECは難しくなった。商材にもよるが、ローカルに根付き、地理的な制約により固定客を掴みやすい実店舗に比べて、カンタンに比較されてしまうECの難しさは段違いだろう。それでもEC展開する場合は、「ネットSPA(製造小売)モデル」(注1)と言われる形態、つまり、自社で商品を製造し、自社のECで売る、といった形態以外は生き残れないとも言われるようになった。文字通り、「他所にはないもの」を取り扱わないと難しいということだ。実際、「kay me」、「knot」、「LaFabric」といった領域特化型のEC専門店が続々と出てきている。
こういった状況の中、MONOCO は価格競争とも、製造小売とも異なる、独自路線を貫いている。他のセレクトショップ同様に、ブランドやサプライヤから商品を仕入れるのだが、決して安売りはせず、正規価格での販売にこだわる。
どこよりも安いということもなく、扱っている商品が他所で手に入らないものばかりというわけでもない。MONOCO が目指しているのは、お客様からもブランドからも、好きになってもらえるということ、期待してもらえるということ、だから選ばれるということ、ここに尽きる。そして究極的には、たとえば高級腕時計が、ある層のステータス・シンボルであるように、MONOCO で販売すること、MONOCO で購入することは、一つのステータスになるというところまで目指している。
MONOCO 代表の柿山氏はこう言う。
『MONOCOは、オンライン上での「バーグドルフ・グッドマン」(注2)を目指している』と。
現在の日本のECを取り巻く状況から考えれば、MONOCO は一つの挑戦だと私は思う。設立当初から試行錯誤を繰り返し、右往左往してきたECではあるが、方針や形態は変われど、小売として一番大事なところをずっと守ってきたショップでもある。小売とは何か、ECにしか出来ないこととは何か、ここに一番大事なところがある。
ここを紐解けば、ECとしての MONOCO が、いかに特異な存在であるかが見えてくると思う。
- 「ネットSPA」とは、「週刊アスキー」「週アスPLUS」のスタートアップ支援企画『大江戸スタートアップ』セミナー・イベントにて使われていた用語です。詳しくはこちらをご覧ください。
- ニューヨーク 5番街の57~58丁目間にある老舗の高級百貨店のこと。
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「自動販売機」か「手間暇かけて売る人肌感」か
オンライン・コマース、つまりECは「自動販売機」に喩えられることが多い。人の直接的な接客を介さず、インターネット上のサイトから、消費者がいつでも勝手に物色し、購入していくことが可能だからである。
この「自動販売機モデル」に対して、楽天大学の仲山進也氏はECにおける「対面販売モデル」の方向性を説いている。
ECのスタイルは2つに分かれつつある。低価格・送料無料・スピード配送、品ぞろえにビッグデータを活用した高精度のリコメンド機能など、徹底的に”便利さの価値”を追求するスタイル(『究極の自動販売機』型)と、接客コミュニケーションや店員の商品愛、専門性を活かした魅力的なコンテンツなど”楽しさ”の価値を追求するスタイル(『究極の対面販売』型)
たとえECと言えども、単に商品を並べるのではなく、その裏側にいるスタッフの人肌感、製造過程のバックストーリー、商品をよく知ってもらうためのコンテンツ作り、そういった伝達の「手間暇」が大切。使っている言葉は違えども、こういった「機械」と「ヒト」の対比は昔から議論されてきた。2007年の記事も引用しておこう。
ネット対面販売では「人肌感」が重要です。息づかいや体温、時には香りや食感や触感まで感じさせることですが、これは難しいことではありません。日頃、「顔を知っているお客さん」に話していることをそのままコンテンツにすれば良いのです。
こういった考え方は、いわゆる
「ストーリー・コマース」だとか
「メディア・コマース」だとか言われるものの源流だ。実際、「
ほぼ日刊イトイ新聞」や「
北欧、暮らしの道具店」などに代表されるように、コマースのメディア化ないしメディアのコマース化といった取り組みで成長している企業もある。
MONOCO も一時期、メディア化をはかるべく、記事編集などに力を入れていた。
しかし、多くの企業は、実店舗に加え、ECを展開しようとする時、普通は効率性やスケールを求めるものだ。あえて人手を配し、手間暇をかけて、ECを展開しようとするためには、ECの役割や意義そのものの認識を改めなければならないだろう(注1)。
ECは究極の対面販売。
それはその通りだと思うし、正論だ。だが、いくら正論であろうと、手間暇をかければかけるほど、人件費はかさむし、スケールが難しくなるのも事実である。「メディア転回」は本当にECの在るべき姿なのだろうか?結局、旧来の「雑誌」の亜流でしかなく、「メディア・コマース」や「ストーリー・コマース」と言いながら、単にオンライン決済機能をつけただけになってしまってはいないか。また、せっかくのECなのに、手間暇を正当化しすぎることは、ECでなくてはいけない存在理由を失っているのではないか。売上がいくら上がろうと、固定費や準固定費がかさみ、利益率が芳しくないところは多いのではないか。
私は、従来の「自動販売機モデル」でも、記事コンテンツ等に比重を置いた「対面販売モデル」でもない、もっとシンプルで本質的なモデルがあると考えている。これはECでも実店舗でも同じで、小売というものの本質的な在り方に通じるはずだ。
- ECが実店舗を巻き込んだ企画を押し通すためには、縦割りの企業体質からの脱却が必要だ。他の店舗と同様にECを支店扱いしてしまったり、EC事業部などという権限のない部署を作ってしまい、ECを実店舗のオマケのような扱いにしてしまうことをやめなければならない。むしろ、「オムニチャネル」的に言っても、ECは全ての店舗をつなぐものであるべきだろう。
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「キュレーション」とは展示であり陳列であり、それ自体が価値である
弊社 SINGULIER の設立理念そのものに関わる概念だが、
「キュレーション(curation)」(注1)という概念を見直すべきだろう。IT界隈では随分と垢にまみれ、誤解の多い言葉だが、本来の意味から平たく言えば、
目利きによる「陳列」であり、「展示」である。有名人の単なるマトメとイコールではないし、ましてやレコメンデーションの自動化でもないはずだ。キュレーションは
概念であり、何か具体的な結果とイコールではない。
考えてみれば当たり前の話で、実店舗などでは、商品とそれが陳列された売り場こそが全てだ。売り場に足を運び、目を留めてもらえなければ、接客も何もあったものではない。MD(マーチャンダイザー)やバイヤーが商品を選別し、陳列された売り場は、それ自体が優れたキュレーションなのである。
小売で一番大切なのは、商品だし、その見せ方だし、見え方だ。
商品が良くないと思っているのに、セールスやマーケティング”だけ”で売ろうとするのは、やはり不誠実だし詐欺に等しい。商売に誠実でありたいなら、やはり商品自体にこだわるべきだろう。
それは何でもいいから、記事やイベントなどのコンテンツを充実させて、良さそうに見せることとは真逆だ。もちろん、商品の良さをちゃんと丁寧に説明し、その有効な使い方を教えること、それ自体は小売におけるコンテンツにはなるし、有効な施策なのは間違いないが、だからと言ってメディアになる必要はない(注2)。小売にとって、商品以外の何か別のコンテンツが必ず必要かというとそんなことはない。商品自体が、その陳列自体が、そういった陳列が並ぶ売り場自体がコンテンツであり、価値でなければ一体何が価値だというのだろう。
TSUTAYAで有名なカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)の創業者の一人である村井眞一氏もその著書(注3)で述べているが、優れた商品を十分な在庫とタッチポイントをもって取り揃え、分かりやすく探しやすく知りたいことをすぐに知ることができるようにし、消費者のライフスタイルにマッチした売り場作りが何よりも大切で、集客や価格戦略はそれらの後に考えるべきことだ。
話を具体的にするために、かつて私が書店員として従事し、人文科学系の棚を担当していた頃の話をしておこう。
書店というのは、基本的に新刊しか売れないし、平積しか売れないのが常識だ。そこで、その書店に来る顧客の興味関心を分析し、マイナー出版社だが、学問的には重要な書籍も仕入れて、該当分野を研究している人にとっては、どこよりも深い品揃えであることを目指した。売れるとすぐに補充し、とにかく品切れにならないように注意したし、数千冊以上在庫していたが、お客様に聞かれたら、PCで検索するよりも早く位置を特定できていた。陳列も、単に学問種別や著者によって並べるだけではなく、学問的な影響関係や、その歴史や潮流などによっても分類してみた。つまり、陳列自体に意味があり、それ自体がコンテンツ化するようにしてみた。どこの書店でも、新刊が出た時は平積で関連既刊も合わせてフェアを展開するが、通常の棚を常にフェア状態にしてみたというわけだ。すると、棚差しから売れるようになっていった。しかも、学術書なので一冊5,000円オーバーとかも普通だが、まとめて買う人が多発し、棚が隙間だらけになることも頻繁に起こった。お客様同士が棚の前で「この書店の棚は凄い」と話しているのをよく耳にしたものだ。
棚の改善を行う前は、こんなことは起きなかったし、格安の文庫や雑誌と異なり、高価な人文科学の棚は主力商材ではなかった。こういうことは、深い商品知識がないと不可能だろう。私自身、人文科学系の研究に専門的に携わっている人間だったからこそ出来たことだ。当時を思い返せば、まさに“専門的な知識を持つ人間の目利きによる陳列(キュレーション)”だったのである。
- 弊社では、「キュレーション」という概念を本来の意味に忠実にしたがって定義しています。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
- たとえブランドではなくリテールであったとしても、自身が扱う商品について精通しているということは当たり前のことです。ブランドの人間に聞かないとわからないでは、そのリテールの意義がないでしょう。実際、MONOCOでも、スタッフが3週間以上使い、満足できたものだけを発信しています。
- 『商売人人価 〜「最先端デジタル技術」と「売れる店の思想」が小売業の未来を拓く〜』(サンクチュアリ出版 2016年10月刊)
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ECと実店舗の陳列の”違い”こそがECの特異性だ
では、ECと実店舗の陳列にはどういう違いがあるだろうか。
単に種別やジャンルによってのみ「整理」するのであれば、実店舗と大差ない。しかし、ECは実店舗の模倣やオマケではない。人肌感や手間暇に重点を置く限り、ECはいつまでたっても実店舗のオマケのように認識されてしまう。
ビジネスである限り、スケールや効率性は大事だ。
しかもECを展開するというのに、そこを捨てては本末転倒だろう。とはいえ、MA(Marketing Automation)、つまりDMP(Data Management Platform)に基づくアップセルやクロスセル、CRM(Customer Relationship Management)を活かしたフォローアップなど、月並みなテクノロジー・ソリューションがECの本質的な特性ではないと思う。もちろん、それらは至極重要で、どのECも活用すべきものだが、多くのECにとっては、そういった高価な技術はもっと先の話だろう。むしろ、陳列そのものが実店舗とECを決定的に分けるはずだ。
実店舗で陳列や展示を変えることは容易ではないし、スピーディに変えるためには、かなりの手間を要する。ECであればどうだろう。設定のみで入れ替えられるはずだし、システムによっては、例えばカラーやサイズなどのバリエーションに合わせた陳列展開も可能だ。ちょっとしたトラッキング技術を利用すれば、アクセスしてくる顧客毎に最適化した陳列を表示することだってできる。これは実店舗では不可能だろう。
これらは何も高度で高価な本格的なシステムを導入しなければできないことではない。大仰なテクノロジー以前に、商品をお客様に最適に見せること、まず何よりもここに力を注ぐべきだろう。このためにこそテクノロジーを活かさないと意味がない。陳列そして売り場作りにこそ、ECには店舗には絶対にできない特異性があるということ、ここが大事だ。
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「テーマ・コマース」としてのMONOCO
優れた小売店とは、その売り場や陳列自体が何らかの「テーマ」を持っている。
つまり、明示的であろうと、暗黙的であろうと、優れた小売店であれば、何か具体的な
ライフスタイル・イメージを持っているはずだ。たとえば、
MONOCO の場合は、「忙しく動き回る人の生活に刺激や充実を与えるようなアイテムを通して、コミュニケーションを活性化する」といった「テーマ」を持っている。
そこで、任意のテーマを持って商品を集め、陳列を行う小売モデルを「テーマ・コマース」と独自に呼びたい。自動販売機化でも、メディア化でもない。品揃えや陳列そのものを有価値化した、シンプルで本質的な小売モデルだ。
セレクトショップとはまさに、こういった「テーマ」を持って商品を集め、意味のある品揃えや陳列で差別化する店の形態のはずだ。複数ジャンルの商品を扱っている事業者がブランド力をつけるためには、具体的なテーマ設定がなければ難しいからだ。これこそが「キュレーション」であり、小売の在るべき姿だと私は考えている。しかし、実店舗や雑誌の亜流を目指してしまい、予算があるところは、すぐに本格的なテクノロジー・ソリューションを導入して満足しようとする。商品にこだわり、陳列にこだわる、全てはここからだ。
各バイヤーが珍しい商品に精通し、その品揃えや陳列自体で、お客様に驚きと発見を与え、お店を選択してもらうこと。しかし、決して価格で訴求するようなことはせず、正規価格での販売にこだわり、
ブランドやサプライヤにも好かれる。これこそが、他の総合セレクトショップ系ECにはあまり見られない、
MONOCO の最大の特長だと思う。ECのみのショップで、
MONOCO のようなショップは、他にはないだろう。
MONOCO は最初「フラッシュ・マーケティング」形式の時限付き安売りECサイトとしてスタートし、現在は真逆の方向性に舵取りをしている。しかし、最初から現在まで変わりなく、商品にはこだわってきた。扱ってきた商品は、一体何の役に立つのか分からない面白グッズから、本当にオシャレで実用的なものまで幅広い。しかし、どれも見たこともないような、レアな商品を扱ってきた。YouTubeなどでアイロニカルに面白がられて取り上げられるようなこともあったが、そこには奇妙な「愛」と「期待」があり、
MONOCO の商品がコミュニケーションを生み出していることには変わりなかった。扱う商品そのものが、お客様の驚きとなり、その生活の刺激となる。このこと自体は、
MONOCO 設立当初から現在まで何も変わっていないだろう。
一貫したライフスタイルを提案してきたわけだ。
ECでも実店舗でも、モール形式や、百貨店など大規模だと購買価格帯くらいしか揃えられないだろうし、どうしても間口が広くなるため、顧客イメージも分散していくものだ。想定するライフスタイルがバラバラだと、どうしてもお店や売り場そのもののブランド力がつかない。こうなると、「ここに来れば、◯◯な商品が手に入る」という期待値を醸成できず、最終的には価格競争に堕してしまう。だからこそ、「テーマ」をしっかり持ったショップは、十分に大手ショップと共存できると私は考えている。対抗は難しくとも、共存は可能だ。
現在の
MONOCO は、もはや単なるセレクトショップではない。
“あまり知られてはいないが本当に優れた商品”を、必要としているお客様に伝えるための広告塔のような役割をも担っている。自社で製造し、自社で販売している事業者であれば商品にこだわりがあるだろうが、必ずしも見せ方が上手というわけではないからだ。だから、
MONOCO は安売りはしないと同時に、ブランドやサプライヤに対しても不当に高い掛け率で引き受けたりもしない。しかし、
MONOCO に自社の商品を掲載したいというブランドやサプライヤは後を絶たない。
MONOCO で購入することも、MONOCO で販売することも、それは一つのステータスやブランドになる。まだまだ微かな灯火で、「バーグドルフ・グッドマン」には程遠いが、着実にそのブランド力は蓄積されてきているように思う。
MD(マーチャンダイジング)を中心とし、一貫した具体的なテーマを持って、お客様の期待に応え続けること。ECは実店舗よりもこの最大化が可能であり、テクノロジーはそのための手段であるべきだ。しかし、多くはこの一番大事な要素をすっ飛ばして、すぐに手段であるテクノロジーに頼ろうとする。まず何よりも商品への愛、そしてそれを最適に見せよう、見てもらおうとする努力、それがあってこそのテクノロジーではないだろうか。小売においては、商売の基本なくして、ビジネス上のスケールもありえない。
小売はオンラインの世界でこそ独自な陳列展開が可能なのだが、そのスタイルはまだまだ確立されてはいない。
MONOCO こそ、その先駆けになるだろうと、私は考えている。
弊社SINGULIERでは、MONOCOのようなネットショップの企画から構築、マーケティング、保守運用までご協力させていただいております。
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